2008年12月30日火曜日

安岐真人

安岐 真人(あき まさと、1945年1月11日 - )は、香川県高松市出身の元競艇選手。登録番号は1864。なお、兄の安岐義晴と娘の安岐奈緒子も競艇選手である。

パンチパーマのヘアスタイルに、人を射抜くような大きな瞳。そして口ひげの風貌から畏怖をこめて通称を「瀬戸の大魔神」(「魔神」とは名前の「真人」の音読みに引っかけたものであるという)・「不動の水上要塞」と呼ばれていた。


経歴・人物
香川県を代表する競艇選手であり、その存在は徳島県のエース格の中道善博とよく比較されていた。引退間際まで若手の壁に君臨し続けた中道に比べると内弁慶的なムラっ気があり、初めてSGを制したのは1988年の住之江競艇場で行われた笹川賞競走。この年は賞金王決定戦もを制し安岐時代が来ると思われていたが、翌年1989年11月の児島競艇場の転覆事故で、生死の境をさ迷うほどの大怪我を負い、また低迷と好調のムラっ気が続く事になる。中道との対戦は、安岐の一方的な負け越しでファンからは「中道の頭で、安岐はヒモ」とまで呼ばれる位に、中道には相当苦手印象があったようだ。

1996年の日本ダービー著名人予想対決と呼ばれるスポーツ紙の企画(競艇界からは、この他植木通彦と今村豊も参加)に中道と共に出演した安岐は、中道同様に本命・フサイチコンコルドを推す。しかし、安岐はまったく競馬の知識は無いようで、フサイチコンコルドを選んだ理由に「一は優勝だから縁起がいい」と言う理由からで、中道の「前走の阪神の短い直線で見せた切れ味のすごさは、府中でさらに効果がある」とまったく正反対であった。

2005年引退。引退後は「しばらくは競艇界の垢を落としたい」と言って、中道のように目立った評論家活動はしていない。現在、デイリースポーツに「魔人参上!!」というコラムを不定期に掲載している。

現在はその功績を称え、安岐真人杯争奪瀬戸の大魔神大賞を開催。


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Category:競艇

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